■願成寺 
所在地 伊奈町大字小室字志ノ崎1821番地




この寺には、伊奈氏の3代目である伊奈熊蔵忠勝の墓(町指定史跡)がある。

 寺記録及び関東18檀林誌他によると、創立は永正2年(1505)3月にして開山は如忠上人。小室宿の山中に小庵室(阿弥陀堂ともいわれる)を建て第3世まで住す。その後、文禄3年(1594)伊奈備前守忠次が当地に移し、寺号を願成寺と定め、勝願寺(鴻巣市)の末寺となった。中興開山は勝願寺中興第2世惣蓮社円誉法草不残大和尚である。
元禄5年(1692)11月本堂建立、同6年(1693)本尊阿弥陀如来(座像・1尺5寸・行基作)入仏。
また、関東18檀林誌には、石川五衛門を捕まえたとの伝説ある仙石越前守秀久(安土桃山時代の武将・1551〜1614年)が江戸から小諸に帰る途中亡くなり、この寺で密葬されたと記されている。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集




■建正寺 
所在地 伊奈町大字小室字本上7730番地





 古記録によると、当寺は寿永年中(1182〜1184)岩崎将監が大字丸山に堂宇を建て、小室山建正寺と号し、以後400年余年臨済宗に属す。その後慶長年中(1596〜1615)伊奈備前守忠次が今の大字丸の内に築城居館するにあたり、当寺を現行の地に移す。龍興寺(現群馬県館林市)第4世吉洲良朔和尚を招請して開山とし、曹洞宗に改め、龍興寺の末となる。その後安永8年(1779)第9世良元大察和尚代に全焼、天明4年(1784)同和尚再建。明治18年(1885)第14宝林越山大和尚代に大破した堂宇を修理復旧。大正6年(1917)第15世本性保善和尚代に草葺屋根を瓦葺に改め、昭和59年4月当代に大改修する。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集




■法光寺 
所在地 伊奈町大字小室字別所4228番地





 寺記などによると、創立は延暦10年(791)坂上田村麻呂にして、開山は宥覚上人といわれる。約760年後の天文24年(1555)焼失した堂宇が再興される。
そもそも当寺は天台宗に属し、泉福寺(桶川市)の末寺であったが、永禄6年(1563)弘覚和尚の代に聖星寺(上尾市)と所属宗派を交換し、真言宗となった。末寺7ケ所あり。慶安元年(1648)10月徳川将軍家光から朱印十石を受領する。本尊阿弥陀如来は鎌倉住人運慶作。
なお、明治27年(1894)までは、醍醐三宝院(京都)の末寺であったが、同年第17世融覚和尚代に智積院(京都)も末寺となる。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集




■桂全寺 
所在地 伊奈町大字小針内宿字宿ノ内1352番地





 新編武蔵風土記稿等によると、当山は下総国千葉県葛飾郡小金町(松戸市)東斬寺に源を発し、開基は天文(1532〜1555)年から永禄(1558〜1570)年の頃春日下総守景定(元和元年(1615)7月14日京都にて没)にして祖父行忠(現在詳細不明)追福のため創建といわれる。開山は三仏寺円(別所及び墓石には団とある)誉善寿和尚、寂年不明。なお当寺は極楽寺と称していた寺を当地に再建したともいわれる。慶長年間(1596〜1615)徳川家康より朱印三十石を受領するが、火災により朱印状・寺記録等ともに焼失。慶安年間(1648〜1652)には徳川家光より朱印五石を受領する。
資料:伊奈町史資料調査報告書第4集

町指定文化財(天然記念物)
大むくの木
幹のまわり(目通り)4.40m、枝下高さ約24m、推定樹齢約400年。むくの木としてはめずらしい大樹である。昭和48年3月1日町指定となる。




■西光寺 
所在地 伊奈町大字小針新宿字高野屋敷463番地


 由緒・創立時期は不明であるが、中興開山宥宣和尚は天文3年(1534)より住職となり慶長2年(1597)8月に寂す。第2世性海和尚は寛永6年(1629)寂すがその代に堂を焼失。正徳5年(1715)勝恵和尚住職となり、享保元年(1716)法流相続、寺院を再建して第6世となる。同2年(1717)地蔵、弁財天、客殿、梵鐘伝受、同年6年(1721)安養山を宝林山に、院号を安養浄土院に改める。御腹籠本尊客殿仏は同年4月五大山(桶川明星院)第25世海津法印が導師となり阿弥陀堂より入仏。これより阿弥陀堂は観音堂と定め、古来より伝わる弘法大師御作金銅立像一寸八分聖観音を安置し、聖観音足立34ケ所第10番となる。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集




■清光寺 
所在地 伊奈町大字小室字本郷9352番地



不動堂

 新編武蔵風土記稿及び古記録等によると、創立は応仁(1467〜1469)年以後慶長(1596〜1645)年以前といわれる。天台宗岩槻慈恩寺末。中興開山運海元禄11年(1698)9月寂す。
 その後途中経過は不明。明治維新当時は相当の規模の本堂を有し、付属建物等も数多く存したが諸事情(無檀家等)のため本堂等を取り壊し、隣接境内地にある観音堂(現在の通称小室観音)を本堂に充て現在に至る。
 なお、観音堂は聖徳太子の作と称せれれる聖観音像を主尊とする。元禄15年(1702)には足立板東33ケ所観音霊場第5番寺となる。安永7年(1778)建立の六間四方の堂宇明治44年(1911)茅葺屋根を瓦葺に改める。その後昭和46年現在の堂となる。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集




■松福寺 
所在地 伊奈町大字小室字宮寺5026番地



 古記録等によると、創立は保元元年(1156)に川原治郎なる者が後白河法皇(1127〜1192年)の院宣を奉じ八町四方の境内を以て七堂伽藍を設立したにはじまり、開山は乾翁瑞元和尚といわれる。
 創立後、鎌倉、室町時代に間においては星霜変遷、幾多の戦乱に遭遇し諸堂の荒廃はなはだしいものがあったが、江戸時代には、これらを領主伊奈備前守や大森信濃守が護持してきた。以後幻空妙夢善女(伊奈築後守室酒井雅楽頭忠清の息女か)中興開基、洞上の末永源寺(群馬県鬼石町)第四世幻室伊蓬大和尚中興開山となり、これより曹洞宗となる。
 その後は、元禄15年(1702)足立坂東33か所観音霊場4番札所(行基作如意輪観音があった)となり、亨保18年(1733)済州鑑応和尚の代に伽藍を新築、昭和2年10月18日深夜の火災により本堂、書院、庫裡、衆寮、長家門等諸堂全てを焼失、第29世洞門和尚の代に大字小室字元宿の地に移転、第30世博明和尚に現在地になる。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集




■氷川神社 
所在地 伊奈町大字小室字本上7841番地



 勧請は鎌倉時代宝治2年(1248)3月で、男体宮・素盞鳴尊、女体宮・稲田姫命を祀るにはじまり、いつの頃か合祀したといわれる。のち南北朝時代応安3年(1370)3月に再建、さらに江戸時代になり寛永年中(1624〜1644)川越城主松平伊豆守信綱がこの地に誕生の由縁を以て社殿その他を再建する。当社は信綱の生家大河内氏の祈願所であり、地頭伊奈備前守知行所八ケ村の総鎮守でもあった。その後当社は万治(1658〜1661)元禄(1688〜1704)年と度々修復を行い、安政4年(1857)5月大風雨にて社殿損壊、大修理を行う。大正11年(1922)社殿大修理とともに瓦葺を銅板葺とする。昭和52年4月拝殿・弊殿を新築する。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集




■小針神社 
所在地 伊奈町大字羽貫字八幡谷192番地



 小針神社は旧小針村(大字大針、大字羽貫、大字小針新宿、大字小針内宿)内の各社を元羽貫村の村社であった八幡社に合祀した後、明治41年(1908)10月12日に改称したものである。旧小針村村社。明治42年5月27日神饌弊帛料供進神社と指定となる。昭和58年11月本殿、拝殿・弊殿新築する。

資料:伊奈町史資料調査報告書第4集